姫川原小での実践を見学に行った以来か
azalea.ac.city.myoko.niigata.jp
平成26年か? 約10年ぶりの上越地方訪問
全校算数の様子にびっくりした頃から9年。
今回の目的
自分の生きるヒントを得に訪問した。
・管理職や令和型の教育など生き方に分岐点を感じてもやもやしている。
→もやもやちょっと晴れた。
・『学び合い』の会浜松も、興味をもった小学校の先生は少なく、実践者はほとんどいないという結果が見え、今後どうしようか、想起しずらい。
→淡々と続けます。
・『学び合い』を学ぶというより、当時の実践者のその後、今後の展開も知りたいと思った。
→あまり知れなかったが、特に佐賀の校長会の取り組みは今後の示唆になった。
【参加してよかったです】
TANQ 市川先生講演
・try a next quest
・フリースクールが不幸だとか、不登校の子が行く場所とかいうイメージが強いものの打破の話 free style school
・「不登校は問題行動ではない」平成元年通知
www.mext.go.jp
正直なところ、日々いっぱいいっぱいで、生徒指導提要も、ICT活用も、この通知も、読みきれない・情報が届いていない。知れてよかった。
・先生側の不登校の回答 と 保護者側の回答の乖離
先生は8割が子供の不安無気力が原因と答え、
保護者は6割が学校の指導が原因と答える。
データの読み方考え方の違いで大きく捕らえ方が異なる。。
信州学びの円卓集会
www.chunichi.co.jp
信州型フリースクール
www.pref.nagano.lg.jp
不登校のデータの裏を考えると、今の不登校増加の現状は、それ以上に深刻だということが分かってきた。学校がすべての人にとってわくわくする場所であれば、不登校など無くなる。わくわくするような場所にできるのは、現場にいる先生しかない。
自分も不登校の子を抱えているが、それぞれに学びの場があるようなので、そこでの学びを応援しつつ、こちらもいつでも学びの場となるように情報を提供している。決めるのは本人であって、どんなに楽しい授業をしても、本人の学校イメージや友達イメージ・不安によっては学校に足を運んではくれない。それでも、できることを淡々とするしかない、と思ってやっている。
自分には子供がいない。教え子はわが子のように思う。成長後の幸せを願う。しかし、そんな時代も終わったようで、今、教職は、卒業後の個別やり取りは禁止。同窓会も開かれることもないだろうし、支えの手を個人的に伸ばすこともできない仕事になっている。一年勝負でできることをしていく。結局はそれに尽きる。
【自分の学び】
★状況は深刻
★わくわくする学校を、まずは自分の範囲で今年も作っていく。
★子供たちを主体的な学びができる人に育てていく。
リーダー論
・佐賀の校長会の『学び合い』研修
・管理職になってもできないことはいっぱいあるけれど、チャレンジする人を止めないことはできる。
・やって見せて、理論を説明するところ(ラーニングピラミッド等)までパッケージして伝える。
・どうやって『学び合い』に引っ張ってくるのかを楽しんだ
・視座を二つ挙げる、という考え
・実践者ほどリーダー・管理職になっていって欲しい
どれだけ職務上の位が上がっても、色々なものに縛られるのは当然で納得。でも、その中でも、チャレンジする人をとめないことができる、視点を転換して『学び合い』にすることはできる、ということは、なるほどと思った。
【自分の学び】
★管理職も、悪くない
★どの立場であっても、できることは、いろいろある。
★仲間を作るとはこういうこと、時間差ででくる仲間の強みがある
パネルトーク
・『』との出会い、これから
・『学び合い』を学ぶと、自然と「そういうものだから」になる。
・自分の当たり前
・授業と実践
・幸せ
自分も10年ほどたち、幸いブログを残しているため、自分の気持ちの変化も記録に残っている。『』との出会いや、自分のあゆみをそろそろ残してもいいのかなと思った。
振り返ることで、これからのことが分かるかも知れない。
昼食時の雑談・・・『学び合い』は、OS
・各実践の型は、アプリ
雑談の中で、得たことで、なるほどと思ったこと。
『学び合い』やクラス会議、ホワイトボードミーティングや仮説実験授業、けてぶれに有田実践など、様々な教育実践がある中で、『学び合い』はOSではないかなという話になり、とても自分の中で腑に落ちた。
様々な教育実践があり、教職にある私たちは、様々なよりよいものを探す、それぞれの実践はアプリのようなもの、『学び合い』の語ってから25分どうぞ、振り返りという一連の型もアプリのようなもの、だけれど、『学び合い』の考え方を一度納得してしまったら、それはOSであり基盤であり、更新はされるけれども前のOSには戻れない。すべての活動に渡って『学び合い』の考え方が影響してくる。どの実践をするにしても、『学び合い』の考え方での運用になってくる、という話。
だから、同じ実践(アプリ)を使用するにしても、考え方(OS)が違うと、違ってくるし、うまく動かないことも起こる。
【自分の学び】
★『学び合い』は、OS
フリートーク
それぞれの場の実践の話。
印象深かったのは、上越のこの『学び合い』の会が終わるかもしれないということ。
西川研究室所属の院生が主催しているのであれば、西川研究室が終われば、諸属生がなくなるのだから、無くなるのは当たり前かといえば当たり前。
でも、『学び合い』はカリスマについていく実践ではないので、勝手にどんどん会が開かれて良いと思っていた自分は、「え?続かないの?」と思った。
けれども、直江津や上越の会は別にあるし、院生が各地で「会」を立ち上げるし、それはそれでよいのかなと思った。
これから先、100マス計算の蔭山先生も、法則化の向山先生も引退されていく。
蔭山先生は「見えない学力」の岸本先生を引き継いでいたが、誰かが中心になっている実践はその中心者を失うことの先がそれぞれ見えてくることだと思う。
『学び合い』も、仮説実験授業も、子供や実践者が中心になるので、跡継ぎ問題は無い、はず。今後の平成の教育実践者の今後はどうなるか、静観。
浜松の会で伝えたこと
・2ヶ月に1度、8年 50回を迎えたこと
・小学校の先生は少ないこと
・多様性があること
・クラス会議形式でやっていること
【自分の学び】
★静岡の会や愛知豊橋の会など、コロナでしばらくご無沙汰しているので、
交流を増やそう
★リアルの交流は情報量が多く、有益。
西川ゼミ体験
・西川先生への質問に答える時間。
・引退が近いこと、院生が多いこと
・引退しても、『学び合い』は理論だから、何も変わらない、はず。
・子供に「どうしたらいい?」と聞いてください
【自分の学び】
★『学び合い』は、学ぶ側が中心。育つ。教える側が主役ではない。
夜の会
楽しかったです。ありがとうございました。
・瀬戸作るスクール
・学びの学校かっこう
・親子の学び場
・つながりが大切
姫川原小の卒業生や『学び合い』体験者がゼミに入っているかと思えば必ずしもそうでなく、話しかけた方は大学で始めて知ったという方だった。自分が『学び合い』に強烈な印象を受けた震災時、埼玉スーパーアリーナでの震災避難の子供たちの『学び合い』や宮城・福島の実践者の方々の話を、宮城・福島出身のゼミ生が知らなかったりと、10年一昔なのだなと思った。
『学び合い』の世代
・『学び合い』研究された方々、
・震災前後はてなブログで実践を進めた方々、
・フェイスブック上で実践を共有している方々
それぞれ世代間ギャップがあるのかなとも思った。
『学び合い』史的なものも、今後必要なのかもしれない。
翌日
・糸魚川海岸でひすい拾い体験
・小さな石の博物館でコーヒーをいただく。
tabi-mag.jp
博物館で気さくに話しかけてくれた地元の方がいろいろと教えてくれた。
ひすいを拾って数十年、ひすいについての専門書にも載る方らしい。
ありがたい。一期一会。