『学び合い』 浜松 diary

浜松で『学び合い』に興味ある方、2か月に1回「会」あります。お気軽にどうぞ。 →https://ogym1.hamazo.tv/ というか、浜松は広いですから、興味ある方は、浜松市内各地でどんどん主体的に「会」開いてください。このブログは『会』の意見ではなく個人の意見です。

第47回『学び合い』の会浜松 まとめ

高校は今後どうなる

こんなページもあるのか・・・しらなんだ。
www.minkou.jp

色々あるんだなぁ・・・
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カクテルパーティ現象

yuji-hirano.com

発達障害

大切な「困ったと言える、助けを求められる力」

①困っていると認識できる。

②助けを求められる→どんな方法で求めればよいか分かる
   →求めよ、されば与えられん、だっけ、というのもあるし。


例えば一家が裸族なら、「私は困った行動をしている」ことに家族ごと気付けない。
認識するのが第一歩。

困り感を自分で認識できなければ、困っているかどうかが分からない。

「自分の親も何とかなったから自分も何とかなる」と思い勉強しない子は
「自分は困った行動をしている」ことに気付けない。
「ゲーマーになる」「そのために課金する」など、搾取される側に回っていることにも気付けない。

言葉が消えてしまう、「気持ち」が思い浮かばない子への対処方法

例 言葉に出して話してしまうといったことが消えてしまう。

①書く練習。写真を見て、言葉にいいたくなったことを、文字に書き出すなど。

②みんなで覚えておく作戦。二人組みになって、一方が話し、一方が書く。

③代筆。言わせ、書かせる。

「感想って、何?」「気持ちって、何?」

心の中に浮かんだことは抽象的なので、これだよここだよと見せることが出来ない。
だから、苦労する。

授業がアクティブラーニングだと授業中グーたら寝ていることができない。
アクティブに関わるために、まず何をすればいいのかが、学べていない、分からない。

校内適応指導教室

www.city.hamamatsu.shizuoka.jp
浜松の不登校は、増えているなぁ・・・


hutoukou.info
協働でネット上では色々な人がまとめてくれている。

その後の座談

鎌倉殿の13人
  源平合戦   →  鎌倉幕府(源氏)    →鎌倉安泰(北条)
  昭和の生き方    平成の生き方       令和の生き方
  何でもあり     昭和色濃く何でもありが  御成敗式目  
            許された時代        
           「私たちは長く生きすぎたかもしれない」

 教育も、今、ぐちゃぐちゃな状態。
 これまでの教育観とは、決別すべき年になるかも。
 板書技術、授業展開は過去のもの、部活も強い指導も過去のもの。
 どうする、どうなる。

世の中は2手に別れる。どうする家康

 ネットの台頭、情報発信が最上位からもされる
 そのため「中間層」の知識の価値が低下
 世の中のトップの意見がすぐ知れる、すぐつながれる。
 大学で数年かけて学んできた知識、知識は陳腐化する。

 例えば、大学で栄養学を学んだとして
 その栄養学を人が披露していた過去と違い、
 最新理論を広く享受できるようになった。
 学んだ人が話したところで、頭に入っている知識だけではソースも見せることが出来ず最新ではないために意見としての価値はめっきり下がってしまう。
 そうなると生き残れるのは、トップと、素人。
 中間で橋渡しをしていた人々が、要らなくなってしまう。
 要は、農協を通さない、農家と消費者の直接パイプと同じ。

世の中は2手に別れる現象だらけ。だから「どうする」と言う中間層が増える。

 だから「どうする家康」ですか。


 農業は、巨大ハウスが安定したトマトきゅうりを出荷して一人勝ち。
 露地栽培が勝てるはずもなし。


 酪農は巨大飼育場を設立して会社化。生き残りをかける。
 個人零細の酪農家が勝てるはずもなし。

 
 教育はトップは都会に送り出してしまう。底辺はマイルドヤンキーとなって貧困層が増えていく。そうなるとトップだった人間は帰ってこない。でも、「研究者」を目指す本当の大学進学でない、「なんとなく大学」だった人々は、行き場を失ってしまう。手に職は無い。トップにも、手仕事にもなれない。だから「どうする」になる。


 障碍者雇用、障害でできなければ、仕事はそれなりにある。できすぎちゃったら通常の社員と言う仕事がある。中途半端の中間層が、仕事が無い。


だから今「どうする家康」なのだとなんとなく腑に落ちた。
www.nhk.or.jp

『学び合い』の会を7年近くやってきて浜松の学校に最近思うこと

浜松の小学校の先生・中学校の先生で足を運んでくれたのは

3千人分の数名。『学び合い』は浜松では根付いていないどころか根も生えていない。
ただし、近年はどの学校でも学校目標などに「学び合い」の言葉が入ることは、多くなってきた。
研究授業でもグループで付箋を貼ったり、タブレットで協働作業をする活動を見るようになった。しかし学びあい方については、確立していない様子。学校で『学び合い』に取り組んでいるという学校は聞かない。

『学び合い』でなくても、学校で統一して何か学び合う授業に取り組んでいる、というところは聞かない。バズ学習などを参考にして各個人が実践している程度のように思う。

教育実践に継続性は見られない。数年で廃れる。

もって3年程度。校長が変わり、構成員が変わると、すぐになぁなぁに変化する。現在であれば、クロムブックの扱いなども、ルールはぐだぐだで一貫性は無く、どんどん薄まっていくと思われる。

世の中も

いろいろな教育実践、教員研修があった。グループエンカウンターや、アサーション、アンガーマネジメント、クラス会議、学級力、100マス計算に発達検査(WISCに田中ビネー等々)、様々なものが学校を通り過ぎていったが、皆、教師が金を払い、学び、そして教師は学び手のまま。何の資格も手に入らない。

グーグル。使ったことも無い、プロもいない、研修もしていないものが使っている現状。

グーグル認定講師もいないまま、学校ではグーグルを使っている。そして、もうすぐリースの3年が切れる。全国で切れた後、そのリースパソコンクロムブックは、どうする? グーグルは使われる?

学校の当たり前が崩れる中で、『学び合い』は

板書にノート、授業形態机の配置など、当たり前と思っていたことがどんどん変化する。その中で『学び合い』の考え方は、一貫して変わらずにいる。


浜松『学び合い』の会の価値

皆さんに聞いてみた。
様々な業種の人が集まるところにある。
近況報告を聞きあうこと、疑問に思うことを学びあうことで、新しい気付きが生まれる。

だれも『学び合い』のゼミに属したわけでもない、著者がいるわけでもない。
学び合っている仲間なだけ。
プロ?専門家?はいない。

会は、参加を強要しない。お誘いメールもしつこく送るようなことはしない。
指導案や発表テーマ、読んでおく本などのような事前準備も強要はない。
主体性が守られて参加したい人が、無理なく参加している。
1回だけもOK、途中参加途中退席もOK
継続していることが安定につながっている。

クラス会議形式でオフレコ、全員に発言権がある。
『学び合い』の会の中の出会いで、人生が変わった人もいる。
自分も毎回思わぬ方向の話が聞け、ライブの楽しさがある。
学びあうことが出来る場として、今年は50回を迎えられる予定。

こつこつ進めたいと思う。

本日の参加は

4名。ありがとうございます。感謝。
次回は3月4日(土)または11日(土)の予定。