『学び合い』 浜松 diary

浜松で『学び合い』に興味ある方、2か月に1回「会」あります。お気軽にどうぞ。 →https://ogym1.hamazo.tv/ というか、浜松は広いですから、興味ある方は、浜松市内各地でどんどん主体的に「会」開いてください。このブログは『会』の意見ではなく個人の意見です。

#教師のバトン

search.yahoo.co.jp


浜松の先生は声に出せるだろうか。出しているのだろうか。
ツイッターをやらない私は知らない。

ツイッターの心配は、多様性の欠如

心配も感じる。


学校は、全国にある。
でも、その先生が「当たり前」と思うことが地域でずいぶん違うというように
「地域差」がある。それが良さだったり悪さだったりする。

ざらっとリアルタイム検索を見ていくと

「4月の入学までの平日5日を確保を!」のようなもの
「3月1週までに次年度の分掌発表を!」のようなもの
GIGAのパソコンがまだ使えない!」のようなもの
クラウド使用を!」のようなもの
「会計仕事・掃除の仕事・ポリッシャーの仕事を外部委託を!」のようなもの

自分の地区に照らし合わせて、なるほどと思うものもあれば、
ん?どういうこと?というものもある。

郷に入れば郷に従え的なルールがある。

浜松独自

学級会の「小柱」
給食の「給食列車」
冬でも半そで・ストーブなし
男女共同トイレ
アルミパックのご飯
持参米飯
宿題は「本読み・書き取り」
計算ドリル3回通り

浜松独自のものも数多い。

地域は多様、なのにツイッターは全国が一つに。

福島の掃除の膝あても
関東圏の新年度が始まってからの離任式も
デジタル化してない手集金の会計も
手でのトイレ清掃も
地域中学生の祭りへの参加も

どれが正しいでなく、それぞれ歴史があって、それぞれの地域でそれぞれ多様な「当たり前」が生まれてきた。

ツイッターは、それを画一的に統一しかねない。
みんな住んできた生きてきた人生によって、
それぞれの「学校」の当たり前は違うのだ。

それぞれができることをする

『学び合い』は「子供」と「教師」それぞれができることをする。
一斉授業は、「教師」に改善を求める。


文部科学省、大臣に訴えるような「他の権力に頼る」のでなく、
それぞれの地で、それぞれができることをやるしかない。


そもそも外野は関係ない。
言うだけで、責任を取らない人たちは知らない。


自分ができる仕事は、目の前の子供たちをしっかり育てること。
それには子供たちにも育つ自覚を持ってもらうこと。
保護者さんにも育てる自覚を持ってもらうこと。


その地域のみんなで取り組まないといけない、と思う。


あなたの、わたしの教室を、みんなで楽しい教室にしようよ、と思う。
実際、楽しい教室、楽しい学校にすることは、できる。
昨年は、「楽しかった!」と子供たちに評価をいただいた。

40代

一斉授業で体罰も受けていた最後の世代。
仕事場でも先輩の厳しいお叱りを受けてもそういうものだと耐えてきた世代。
いつまでたっても後輩が入らず、ずっと下働きが長かった世代。
教師とは…大村はま斎藤喜博や有田和正の授業の流れの浅く軽いものでない研修を受けてきた世代。


だから、自分の世代の「頑張り」も「研修内容」も、
今の新人たちの参考には、ならないだろう。


でも、身に染み付けてきたものは、有益に使っていかないと。

ツイッターで繊細な内容を扱うことについて 例:子供の対教師暴力

個々の対応が様々。
子供の教師への暴言・暴力・頭突きや蹴り。

あったとしても声に挙げられないのは
守秘義務があること、
そして何よりその家庭を守ること。子供を守ること。


でも、だからといって教師や支援員に何をしてもいいってわけじゃない。


刃物をもって振り回していたら?
石を投げてきたら?
椅子を振り回し投げたら?
学級のモノをびりびりに破いて部屋を破壊したら?

ダメなものはだめ、と警察に渡して
「大人も教師も信用できない」と植え付けることはしないししたくない
でもそのままでも教師が支援員が身が持たない


そういうさじ加減が難しい個々の当事者しか分からない問題に
それぞれが粘り強く対処しているところに
ツイッター他人が軽々しく「即警察」なんてのは
責任も何もないからいえること
デジタルタトゥとなったらどうしようもない


警察も児相も労基も「言われたら」「動かなければ」ならない。
「動く」ことの重大さ、大ごとさ。


外野のツイッターは、そんなところも怖いと思う。
#教師のバトン も そんな危険も感じる。

現場の改善はゆっくりゆっくりだけど、
一生懸命子供たちのために支えている無名のたくさんの
善意の先生がいっぱいいることの方を報道してほしい。