『学び合い』 浜松 diary

浜松で『学び合い』に興味ある方、2か月に1回「会」あります。お気軽にどうぞ。 →https://ogym1.hamazo.tv/ というか、浜松は広いですから、興味ある方は、浜松市内各地でどんどん主体的に「会」開いてください。このブログは『会』の意見ではなく個人の意見です。

浜松の漢字の書き取り

「書き取り」信奉が強い

2年生で80字以上の書き取りを毎日しているのを見て、
中学でも50字以上の書き取りをしたことがない自分は、
なんでそんなにするの?と思う。

「これだけ書いているのに」全国学力調査浜松市の課題は「漢字」

H31 
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/zenkokugakuryokugakusyuujoukyoutyousa.pdf


H30 漢字を文の中で正しく使う
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/30zenkokugakuryokujoukyoutyosari-hu.pdf


H28は漢字は良好
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/h28hamasaposyougako.pdf



H27 漢字は記述無、語彙不足
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/h27zenkokugakutyousyougakou.pdf


H26 漢字の読み書き
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/26zenkokugakuryokutyousasyougakkou.pdf


H25 漢字の読み書き
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shido/kyouikusesaku/jyugyoukaizen/documents/h25houkokusyosyougakkou.pdf


漢字の書き取りの出し方はもうずっと前から変わっていないらしく、
親も書き取りをやっていると安心をし、やらないと不安になる声を聞く。


父母の代から書き取りを続けているのに、
やり方が変わったということを聞かない。

覚えるためにやっているのか、こなす安心のためにやっているのか

古き良き効果的なものなのか
改善の余地大いにありのモノなのか、それぞれが考え直す必要がある


そのためには、とにかく「他」との交わりで「自分たち」の比較をしないと、自浄されない。
祖父母も父母も先生も「そういうものだ」と思っているので、
本当に必要かどうか、よりも、慣習的な面が強く、

効果的か否か、という客観的な視点での改善が難しくなっていると思う。

やめたら責任とれるのか!

やめてみたら、という実験で起こるあれこれのリスクのほうが多くてやめられないだけのようにも見える。

タブレットで字を覚えたかどうか個別に判定もできるようになる時代に、
このGIGAの機会に、
見直して各学校でさまざまな実践を試してみたらどうだろう、と思う。

なんのため?を皆で問うことで変わる。

我慢や忍耐力を育てる、のか、
自己コントロールする力を育てる、のか、
指示に忠実に従う力を育てる、のか、


「なんのためにやるんですか?」を明確にして、保護者が担任に問う。


「手本」よりももっとほかの字を練習したいのですがいいですか?
この字はもう覚えたので、やらなくていいと思うのですがいいですか?
下の学年の字を練習したいのですけどいいですか? などなど。どう返答が来るか。
狙いが明確なら、どう質問しても答えが来るが、不明確ならぶれぶれになる。


教師も「宿題、書き取りでいいですね」「いいら」で終わらせるのでなく、
「なんのためにやるの?」を明確にして、学年間で問う。研修で問う。
管理職が問う。管理職に問う。


そうしたことにゆっくり時間をかけて考える時間がない、ことには同情するけれども…
そうした問いを出すことで変化していくと思います。

無限ループや思考停止から抜け出すには

漢字ができない ⇒ 漢字を書かせる、⇒ 結果漢字ができない ⇒ だから漢字を書かせる…


という無限ループから抜け出すには、違うアプローチが必要。


他県や他地区の知り合いがいる方は
ぜひ「書き取り、何字ぐらいやってた?」と問うてみてもらいたい。

教師は何のために書き取りをやらせるかをもう一度考えたい。


何のために「手本」を教師が作っているか。
 子供が自分で活用する力を奪っていないか。


何のために「書き取りパス券」を作っているか。
 苦行を公認しているということになっていないか。


何のために「〇付け」を毎日行っているか。
 文科省が「細部にこだわらなくてもよい」と言っているのになぜ独自に×をつけるか。
漢字のとめはねはらいは - Bing


 費用対効果としてどうか。


 タブレットアプリがたくさんあるのに、〇付け、赤ペンに付き合ってくれている子供たち、という構図になってきていることの中でも、このままいくつもりか。


安定しているものをわざわざ崩すことになるので、見直す人は少ないと思うが、いずれ、崩れます。なぜこの時代にやるのですか、なぜ従わないといけないのですか、等々。学校や教師が見捨てられる前に、先手を打っていく方が得策だと思います。

実際、目の前の書き取り帳の山が無くなり、
写すのが苦痛な子が少なくなり、一石何鳥にもなり得ます。

有言実行を

「やらまいか」(やってみよう)をうたっている浜松市なのだから。
やってみよう、という声を一つでも聞きたい。